京都鴨沂会 沿革

 京都府立第一女学校正門前 明治末頃の寺町通り (寺町通りの市電の軌道が写っています)

明治20年 (1887)  「京都鴨沂会」設立

         京都府立高等女学校 ∗ の同窓会として会員 155 名、客員 13 名にて 発足

         第1回通常総会を開催、鴨沂会誌の創刊号を発行する。

「京都府立高等女学校」 明治3年、文明開化には外国語教育が急務とされ、独学校、英学校、仏学校が国の費用で開校される。 明治5年には学制発布され、京都市上京区土手町通丸太町下ル駒之町旧九条家河原邸に、華族士族の子女 78 名を対象に我が国最初の公立女学校「新英学校及び女紅場」が誕生した。さらに、一般民籍の子女の入 学が許され生徒数は159名となった。明治6年、庶民の教育を目指し各地に「市中女紅場」が設置され た。新英学校は、明治7年に「英女学校」に、明治9年には「京都府立女学校」と改め高等女子教育がお こなわれ、女紅場の教師が養成された。明治 37 年に「京都府立第一高等女学校」と改め、大正 12 年、「京 都府立京都第一高等女学校」と改称される。学制改革により昭和 23 年に「京都府立京都第一高等女学校」 は廃止、新制高等学校「京都府立鴨沂高等学校」となる。 

明治42年 (1909) 「社団法人京都鴨沂会」設立 文部省所管の公益法人「社団法人京都鴨沂会」を設立
  理事、評議員をおく公益法人としての定款を定める。
昭和11年 (1936) 鴨沂会館新本館竣工、研究科の延長として鴨沂学園を開校する
昭和48年 (1973) 鴨沂学園休校、鴨沂会館の施設利用を開始する。
平成5年 (1993) 鴨沂会館新館竣工す
平成18年 (2006) (社) 京都鴨沂会奨学金制度を設立、奨学生を募集する。
平成25年 (2013) 4月1日付で「公益社団法人京都鴨沂会」として法人登記を行う。

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社団法人京都鴨沂会沿革
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