高等学校教育振興支援

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P.11-12 平成27年度 高等学校教育振興支援
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高校大学連携特別講義

開催日時:平成28年1月23日(土)

開催場所:京都大学 人間環境学研究科総合棟内講義室

受 講 者:3校から37名、引率教員6名 

講義

「日本近代文学特に夏目漱石を読み解き理解するには」

「夏目漱石『夢十夜』より「第一夜」を読む」

講師 京都大学大学院人間・環境学研究科 須田千里 教授 



 この講義では、まず最初に夏目漱石の経歴を紹介した後、幻想文学として定評のある『夢十夜』(明治41年)か ら「第一夜」を取り上げ、精読を行った。

 本作品の登場人物は、「自分」と「女」の二人だけである。 女の外見は健康そうだが、「もう死にます」といい、「自分」 も「確かにこれは死ぬな」と思う。この時点で既に、健康 的な外見よりも、それと矛盾した女の言葉の方が、この夢 の中の世界で力を持っていることが示唆される。さらに、 健康そうな黒目なのに、女は「死ぬ」と繰り返し言い、言 葉通り女は死んでしまう。

 ここで、この世界を支配するのは自然の理法ではなく、 女の言葉である、という仮説が立てられよう。死ぬ前に女 は、「自分」の顔が「そら、そこに、写っているじゃあり ませんか」と言うのだが、「そこ」とは女自身の瞳を指し ている。一般に「ここ」というべきところを「そこ」と表 現したのは、すでに女の精神(魂)が肉体を抜け出て、外 部から自分の瞳を眺めている(あたかも幽体離脱のよう に)、と推測できよう。

 死ぬ直前、女は遺言のように、大きな真珠貝で穴を掘っかけはかて自分を埋め、天から落ちて来る星の破片(隕石)を墓標(はたじるし)に置いて、百年墓の傍に待っていればきっと会いに来る、と告げる。「自分」は女の言いつけ通りにし、女の言葉通り「赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行く」日々を待ち続け、ついに日数を勘定し尽くせなくなるが、「それでも百年がまだ来ない」と思う。日数を数えていない「自 分」にとって、今が何年目の何月何日かわからない以上、「百 年」が「来」たといえるのは、女が会いに来た時ということになる。待っても待っても女が現れないために、「自分」はとうとう、「女に欺されたのではないか」と疑い始める。「すると」墓石の下から白百合が伸びてきて花開き、思わ ず接吻した「自分」は遠くの空に「暁の星」を発見し、「百 年はもう来ていたんだな」と気付く。

  最大の疑問は、百合は女(の化身)なのか、ということだろう。文脈的に見れば、そのように思える。では、作品の論理に従ってそれを証明するにはどうしたらいいだろうか。

 まず、「暁の星」を見つけた時、なぜ「自分」は「百年 はもう来ていた」とわかったのだろうか。それとも、女が「暁の星」なのだろうか?

 もう一度、「この世界を支配するのは自然の理法ではなく、女の言葉である」という前の仮説に戻ってみよう。注意してみると、女が予言する世界には不自然な点があることがわかる。まず「星の破片」とは都合良く「自分」の前に落ちてくるものだろうか? また、「赤い日が東から西 へ、東から西へと落ちて行く」日々が延々と続くが、毎日 が快晴ということだろうか。雨の日や曇りの日はないのだ ろうか? さらに、日が赤いまま西に落ち、「しばらくするとまた」太陽が昇ってくるこの世界に、はたして夜は存 在しているのだろうか。これらの疑問が指し示すのは、こ の世界全体が女の言葉通りに運行している、ということである。「自分」は、女の言葉に支配された世界にただ一人包み込まれた他者だったのである。

 逆に言えば、すべて思いのままに支配できるこの世界で、「自分」だけが唯一、女の支配できない存在なのである。そしてその「自分」は、いまや女の言葉を疑っている。 そこで女は、裏切られたと思った「自分」が墓石から去ってしまう前に、最後の約束を果たすべく白百合の姿で現れた、と考えられる。女の言葉に見えない「暁の星」は、これを発見したときすでに夜が来ており、女の言葉の支配しない外側に「自分」がいることを示している。そのことに気付いたからこそ、「百年はもう来ていたんだな」と「自分」 は言うのである。「もう来ていた」という過去完了形は、「暁の星」発見時が「百年目」なのではなく、その直前の現れた白百合こそが女だったことを示していよう。

 この世界すべてを支配する女も、他者である「自分」までは支配できなかった。もはや日数を数えられない「自分」 にとって、「百年」とは具体的な時間ではなく、女との愛の絆を計る時間、愛の強さを示す比喩的時間なのである。 従って、もし「自分」が疑わなければ、女は永遠に現れることはなかったであろう――。この結論は、一見逆説的に見えるかもしれない。しかし、女を信じて待っている間、「自分」は確かに女の世界の中で、女と繋がっていたのである。 いまや、寒々とした夜明けの中で、「自分」は女と断絶した真の孤独を感じているといえるだろう。

 『こころ』や『それから』のように、漱石は男女の恋愛を描いた作家だった。「永遠の愛」がいかに困難なものであるかを、夢という枠組の中でテーマとしたのが「第一夜」だったように思われる。